「教室に入れない生徒が行く部屋があり…」

おきあ様
不登校の期間:中一~
不登校の理由:友人との人間関係
まず、中学1年の後半から、友達との人間関係で学校をしばらく休んでしまいました。
その友達からは、学校に戻ってきてほしいと言われていましたが、すでに長期で休んでしまっていた私には学校がとても敷居の高いものとなっていました。
それを見かねた母が、児童相談所に相談したところ、児童相談所には、フリースクールという場所があり、そこに通えば学校の出席日数にカウントされるというものでした。
バスで通うようになりました。
児童相談所には、いろいろな理由から学校に通えない子供たちがたくさんいました。
教員免許をもった職員の方が数名いて、学校の勉強を教えていただきました。
文化祭などの行事もあり、一人で通った記憶があります。
いつからかそこに通うことは無くなりましたが、相変わらず、学校には通えてはいませんでした。
学校の先生から、学校にはピンクルームといって、いわゆる教室に入れない生徒が行く部屋がありそこに行かないか?と言われたので気持ちが落ち着くまでそこに行くことにしました。
そこには先生はおらず、シルバー人材センターから派遣された方が3名日替わりで勤務されていました。
自分で勉強してもいいし、読書をしてもいいし、音楽を聞いてもいいしで割と気楽に通えていたと記憶しています。
中学3年になっても教室にはいけていなかったのです。
修学旅行の時期になりました。
学校に行くのが億劫だったはずなのに、どうしても修学旅行には行きたかったので頑張って行ったとおもいます。
実際に旅行中はしんどい思いもしましたが、なんとか一泊終えることができました。
終わってからも相変わらず教室には行けなくてピンクルームに通う毎日でした。
そこのピンクルームは、午前中のみだったので給食前には帰宅していました。
今母となり子供を持つ立場として感じるのが、本来なら学校にいる時間に我が子は早々と帰ってくるものですから、自分の時間などなかったんだろうなぁと申し訳ない気持ちです。
そこでも、いい思いをしたこともあります。
給食前に帰宅しますが当時購買でパンを売っていましたが、ほかの生徒は給食が始まってからダッシュで買いに行っていましたが、私はまだみんなが授業をしている最中に帰宅するので帰宅する前に特別に購買でパンを買った思い出もあります。
しかし、教室に通えていなかったということは、当然勉強もかなり遅れていたので他の生徒のように受験して全日制の高校に行くのは不可能でした。
今は素敵な思い出としてこのように語れますが、当時は、人間関係に悩むことがとても辛かったです。
少しでも共感してくださる方がいると幸せです。

この体験談は、ご本人に書いていただいたものです。(改行のみ調整)
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